『日本辺境論』内田樹

以前、『街場のメディア論』を読んで、いずれ内田樹さんの本はまとめて読みたいと思いつつ、ずいぶん時間が経過してしまいました。。

ただ、先日ブックオフに立ち寄ったときに、『日本辺境論』が目に入ったので、とりあえず一冊だけ読みました。

以下、メモです。

放っておくとすぐに混濁してくる世界像を毎日補正する。手間もかかるし、報われることも少ない仕事ですけれど(「雪かき」とか「どぶさらい」みたいなものですから)、きちんとやっておかないと、壁のすきまからどろどろしたものが侵入してきて、だんだん住む場所が汚れてくる。私はそれが厭なんです。住むところは原則きちんとしておきたい。別に部屋が狭くても、不便でも、安普請でもいい。すみずみまで掃除が行き届いていて、ささやかな家具がていねいに磨き込まれているような空間にしておきたい。

お掃除ですから、それほど組織的に行なわれるわけではありません。というか、お掃除というのはもともと組織的にやるものではないんです。組織的かつ徹底的にやろうと思うと、思っただけでうんざりして、つい先延ばしにしてしまいますから。お掃除の要諦は「徹底的にやってはいけない」ということです。とりあえず「足元のゴミを拾う」ことで満足する。手のつけられないほど錯乱した場所を片付けるという経験をされた方はおわかりでしょうけど、足元のゴミを拾うところからしかカオスの補正は始まらない。

「大きな物語」が失効したのはもちろんマルクス主義の凋落が原因です。かつてマルクスはこう書きました。
「これまでのいっさいの社会の歴史は、階級闘争の歴史である。自由人と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルドに属する親方と旅職人、要するに搾取する側と搾取される側の人々、彼らは皆たえざる対立関係にあった」
壮大な大風呂敷です。「これまでのいっさいの歴史は」ですよ、いきなり。にもかかわらず、挙げている例は四つだけ。まことに大雑把な括り方です。でも、この「大きな絵」がそれから百五十年ほどにわたって、世界の見通しをたいへんよくしてくれたことは(その罪を含めても)やはり人類の知性への偉大な功績と言わねばなりません。

つねにその場における支配的な権力との親疎を最優先に配慮すること。それが軍国主義イデオロギーが日本人に繰り返し叩き込んだ教訓だったからです。そして、イデオロギーが私たちの国民性格に深く親和していなければ、そもそもこのような戦争は始まりはしなかった。

私たちの時代でも、官僚や政治家や知識人たちの行為はそのつどの「絶対的価値体」との近接度によって制約されています。「何が正しいのか」を論理的に判断することよりも、「誰と親しくすればいいのか」を見極めることに専ら知的資源が供給されるということです。自分自身が正しい判断を下すことよりも、「正しい判断を下すはずの人」を探り当て、その「身近」にあることの方を優先するということです。

過去も現在も日本人は一度として自前の宇宙論を持ったことがない(そしてたぶんこれからも持つことがない)。

しかし、日本史上には、そのような事例を見つけることはきわめて、ほとんど絶望的に困難です。幕末から後で、自分の言葉であるべき社会像を語り、それを現実に繋げ得たのは坂本龍馬の「船中八策」くらいでしょう。

「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」、それが辺境の限界です。ですから、知識人のマジョリティは「日本の悪口」しか言わないようになる。政治がダメで、官僚がダメで、財界がダメで、メディアがダメで、教育がダメで・・・要するに日本の制度文物はすべて、世界標準とは比べものにならないと彼らは帰着してしまう。そして、「だから、世界標準にキャッチアップ」というおなじみの結論に帰着してしまう。

地学の基礎知識があればわかりますが、「日ノ本」というのは「あるところから見て東方に位置するところ」ということです。「あるところ」とはもちろん中国です。「日本」というのは「中国から見て東にある国」ということです。それはベトナムが「越南」と称したのと同じロジックによるものです。もしアメリカ合衆国が「メキシコ北」とか「カナダ南」という国名を称したなら私たちは「なんと主体性のない国名だ」と嘲笑するでしょう。けれども、「日本」という国名は文法構造上そういうものなのです。

たとえば、私たちのほとんどは、外国の人から「日本の二十一世紀の東アジア戦略はどうあるべきだと思いますか?」と訊かれても即答することができない。「ロシアとの北方領土返還問題の『おとしどころ』はどのあたりがいいと思いますか?」と訊かれて答えられない。

ゲームはもう始まって、私たちはそこに後からむりやり参加させられた。そのルールは私たちが制定したものではない。でも、それを学ぶしかない。そのルールや、そのルールに基づく勝敗の適否については包括的な判断は保留しなければならない。なにしろこれが何のゲームかさえ私たちにはよくわかっていないのだから。
日本人はこういう考え方にあまり抵抗がない。それが私たちの実感だから。ゲームに遅れて参加してきたので、どうしてこんなゲームをしなくちゃいけないのか、何を選別し、何を実現するためのゲームなのか、どうもいまひとつわからないのだけれど、とにかくやるしかない。
これが近代化以降の日本人のマインドです。

学び始める前に、これから学ぶことについて一望俯瞰的なマップを示せというような要求を学ぶ側は口にすべきではない。これは伝統的な師弟関係においては常識です。そんなことをしたら、真のブレークスルーは経験できないということを古来日本人は熟知していた。

日本的コミュニケーションの特徴は、メッセージのコンテンツの当否よりも、発信者受信者のどちらが「上位者」かの決定をあらゆる場合に優先させる(場合によってはそれだけで話が終わることがある)点にあります。

 

日本辺境論 (新潮新書)