『東京家族』をこの時代にリメイクするべきだったのか。

東京家族

昨夜テレビで放送していた『東京家族』を観ました。

『東京家族』は『東京芸術』の2013年映画ランキングでワースト1位に選ばれていましたが、僕は普通に面白く観ることができました。親よりも自分の生活を重視する西村雅彦や中嶋朋子を見て、地方から上京してきて親と離れ暮らす人は誰しも自分にも思い当たる節がある分、「うぅ。。」と胸が苦しくなるのではないでしょうか。。

しかし。『東京家族』をなぜ今(去年ですが)リメイクしたのかな、ということには疑問が残ります。

 

「成功の物語」の終焉を描いた映画

 

小津安二郎の『東京家族』は高度成長期の日本の基本思想とも言える「成功の物語」がウソ(幻想)だということを突き付けた作品です。

「成功の物語」とは、「一生懸命に勉強して、東京に行って、頑張って仕事をすれば豊かで幸せな暮しができる」という筋書きに代表される、上を目指して突っ走れば成功を手にできるというストーリー。高度成長期の人はみんなそう信じてた。だから、親は子供に勉強を強いたし、(真面目な)子供はそれに従って努力した。

『東京家族』に出てくる家族も、その典型です。お父さんは真面目。子供も真面目で、長男に至っては医者になっている。両親は、子供たちは東京で幸せに暮らしているのだろう、と信じていた。だって、お医者さまになったわけだし。

ところが、上京してみると家は狭いし、子供たちはなぜかやたら忙しく生活していて、親をもてなす余裕もない。なんか想像していたのと違うと失望する。自分たちが(無意識に)信じていた「成功の物語」は幻想だったと痛感する。

 

当時、小津安二郎の『東京家族』を観た人は、実はウソなんじゃないかとうすうす感じていた「成功の物語」は、やっぱりウソなんだと認識せざるをえなかった。「頑張ってきたけど、果たしてそれで本当の意味で豊かになったのだろうか? 本当にこれで良かったのだろうか?」と自分の価値観を揺さぶられたのです。

「『成功の物語』はごらんの通りウソですよ」と同時代の人に突き付けたからこそ、『東京家族』はセンセーショナルな映画だったわけで、その映画を2013年にリメイクしてもどうなのかなと。若い人が観ても「親孝行しなくてヒドイ奴らだな」「お父さんとお母さんがかわいそう」くらいのことしか感じないのではないでしょうか(笑)。

 

「成功の物語」の次は「幸福の物語」

 

ちなみに、「成功の物語」を実現できるのはとびきり優秀で運の良い人だけということをみんなが実感した後、日本を支配したのは「幸福の物語」です。

成功することよりも、家庭の幸福が大事。テレビでも家族ドラマなどが人気になり、マイホームパパなるものがもてはやされるようになった。成功するのは難しいけど、幸福な家庭をつくることならできるだろう。みんなそう考えたのです。

しかし、皮肉なことに「幸福の物語」が蔓延したことにより、子供の親に対する暴力や離婚が増え、社会問題となっていきました。

なぜか?

 

幸せな家庭を描いたドラマやCMなどを目にすることが多くなったために、逆にそういった“理想の家族”ではない家庭では、「なぜうちの親(夫もしくは子供)は・・・」と不満を募らせ、自分の家族をなじり始めたわけです。

それまでの日本の家族では、父親が仕事ばかりで家に帰ってこなくても、夫婦仲が悪くても、子供が遊び回ってデキが悪くても、「まぁ、そんなもんだろ」と思っていた。身の回りを見渡しても、同じような家庭ばかりだからそんなもんだろう、と。

それがテレビで理想の家族が頻繁に登場するものだから、それとは違う自分の家族の「ダメなところ」が目につくようになる。それで文句を言うようになり、争いに発展し、最後には崩壊してしまう家庭が続出した。理想を求めるがために、崩壊を招いたのです。

 

結局、絵に描いたような理想の家庭を実現することも難しかったわけです。

こうして「幸福の物語」も終わりました。「幸せな家庭を絶対築けるはず!」と単純に信じている人はもう少なくなっただろうし、家庭を持つことの代償を考えて一生独身で生きるとと決める人も出てきています。

今はどんな物語の時代なのでしょうか。「自分らしさの物語」とかですかね(笑)。「自分らしく生きれば幸せになれる」みたいな。