遠藤哲夫『大衆めし 激動の戦後史』

日本国民に最も親しまれてきた定食系の「和食」が、なぜ日本料理界では重んじられてこなかったのかがよくわかる一冊。日本料理とは“料理屋料理”であり、われわれ日本人(庶民)の生活とは乖離したもの。ネマルカフェでは、ハレの日の食事ではなく、近隣に住む人、働く人の日常に寄り添った食事を提供していきたいと思う。

以下、メモ。

 「大衆食堂のめしはなぜうまいか」
そこには、生活料理があるからだ。おれが、キャッチフレーズのように使ってきた、「気取るな、力強くめしを食え!」と「ありふれたものをおいしく食べる」という文化が息づいているからだ。

1970年ごろからコンニチまで約40年間、日本の食と料理は、ほんとうに、激動の時代だった。土器による煮炊きが始まった縄文時代、そして竪穴住居内に竃(かまど)ができたといわれる古墳時代以来の激しい変化といってもよい。

「食の近代化」は、食生活の「洋風化」「欧米型化」とみなされたりする。そういう一面はあるが、本質はちがうと思う。日本の近代化によって、産業構造が変わり人口も増え、主に国内や生活の近場でとれたもので賄われてきた農業社会型の食事にかわって、工業社会型の食生活が訪れたのだ。

当時人気だった72年創刊の雑誌『るるぶ』は、「食べる」「着る」「遊ぶ」の略で、そういうメディアの性格を、雑誌のタイトルに端的にあらわしていた。

「外食は消費者に認知されて」ということは、以前は、外食そのものが特別だった大衆の食文化が、大きく変わったことを意味している。外食は新しいライフスタイルのベースになり、近年では飲食店が街の気分やイメージまでもリードするようになった。
ファミリーレストランもファストフード店も、いまでは、特別の日の食事ではなく、普段の生活の、ともすると簡便で安上がりの外食や休息の場になったが、70年代は、そうではなかった。
パパの休みの日は、家族そろってクルマで軽くドライブし、ファミリーレストランで食事をする。あるいは、歩行者天国の銀座で、歩きながらコーラを飲みハンバーグを食べる。これらは、家庭の外での飲食が特別だったり、いましめられていた文化を付き崩すように始まった、華やかで晴れがましい先端のレジャーであり、新しいライフスタイルのファッションだった。
大衆食堂のような旧い外食文化の飲食店とはちがって、外からもよく見えるようにつくられた、新しい外食産業の店。飲食する姿を他人の目にさらす外食によって、新しいライフスタイルのなかにいる自分を自覚し、「リッチ」や「ハッピー」を感じる場所だった。中流気分は、より確かなものになっていった。外食産業の店は、モノでは味わえない中流気分、ワンランク上の文化的生活のイメージを提供していたといえる。

『包丁文化論』は、「日本料理」を文化的に考察したものだ。「日本の料理」ではなく「日本料理」というのが、重要だ。この場合の「日本料理」は、「日本大学」が日本の大学を包括する名称でないように、日本の料理を意味しない。特殊な料理屋料理のことなのだ。

いまや日本料理の顔として、海外でも人気のすしやてんぷらなども、そばやうどんも、日本料理からは下賎な食べ物としてみられていたのだ。

料亭の板前が、大衆食堂の丼物やうどんやそばの類を指して、「あんなものは料理のうちに入らないよ」と、よく言ったりするのは、そういう価値観を端的に裏付ける言葉である。

大衆食堂の料理人が研鑽の末、飯の炊き方を含めて独特の味を出すまでに熟達していても、自分と同列の料理人とは認めない。そしてふしぎなことに、世間も常識的にそれを是認しているのだ。

ナニナニはどこどこにかぎる、といったうまいもの話も、あいかわらずだ。産地ブランドによわい。日本料理を鑑賞あるいは賞味する美学だったといえる「いき」や「通」も、いきがったり、通ぶったりと忙しいようだ。自己主張がヘタといわれてきた日本人だが、自分がうまいものを知る人間だという主張だけは、抜け目ないように見える。

日本の料理ほど、料理屋の料理と家庭のお惣菜の差のひどい料理文化はめずらしい。そうなった原因のひとつは、日本料理が、手を加えない、「料理をしないことが料理の神髄である」といったパラドクシカルな体系にもとづいた料理であることに求められる。手を加えないこということは、材料のよし悪しで料理が決定されるということを意味する。そこで、素人と玄人ではまず材料の仕入れ先から異なっているのである。

加藤は、「日本文化というのは、いっぽうでは、たとえばお役所しごとのように、単純なことをわざわざ複雑化させ、やたらに手つづきをややこしくする、という複雑好きの一面をもちながら、他方では、また極端にものごとを複雑化することに価値をおく簡便好き、という無ジョンしためんをもっている」そして「この簡便好きという文化的特質は、食生活の領域ではどうやら基本原理になっているようにおもわれる。とにかく、どう考えても、日本人の食事には、複雑な要素があんまりない、というよりは、むしろ皆無、というほうが正しいだろう。なにごとも簡単に——食事に関するかぎり、われわれはそういう原理で行動し、かつ生活しているのだ」という。

中華鍋がかなり一般化したのは炒めものの普及に応じている。昭和の初め頃、フライパン運動というものが提唱された。フライパンの利用を通じて農村に油脂の摂取を広めようというものである。

いわゆる玄人の日本料理は、宴会や遊興の料理であり、観念的な技巧に多く走ることになる。それがカタチになっている。だけど日々の暮らしの「素人料理」は実質の美味に価値がある。いわゆる日本料理業界から見た「玄人」と「素人」は、もともと料理の構造がちがうし、「うまさ」の求め方がちがうのだ。