『花森安治伝 日本の暮らしをかえた男』津野海太郎

花森の文字

これは、花森安治の文字です。

戦時中、大政翼賛会の宣伝部に所属し、「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」といったコピーを書いたといわれる花森安治。戦争に加担したという自責の念から、戦後は、庶民に寄り添う雑誌「暮しの手帖」を創刊し、日本国民の生活を大きく変えた編集者です。

しかし、この本を読んで僕も初めて知ったのですが、「欲しがりません勝つまでは」などは、花森安治本人が書いたわけではないようです。

「欲しがりません勝つまでは」はおなじ年、翼賛会などが主催する「国民の決意」の募集に、ある男が小学生の娘の名で応募した作品を花森たちがえらんだもので、どちらもコピーライターとして花森安治がみずから筆をとった作品ではなかった。

(中略)

しかし、もしそうだとしたら、敗戦後、なぜかれは戦後、じぶんでハッキリとそういってしまわなかったのかしらん。
断定はできないが、おおよその見当はつく。じぶんの作であろうとなかろうと、これらの標語の作成に花森が翼賛会宣伝部の有能なスタッフとして「一生懸命」かかわった事実に変わりはないからだ。もはや取り消しのきかない過去の事実として、「ぼく」はそういうしかたであの戦争に積極的に「協力した」。そうである以上、いまさら弁解はしない。なにをいわれようと沈黙をまもる。私はあとからきた人間だから、それとはべつのやり方もあったはずだと思うが、よかれあしかれ、それが戦後の花森のえらんだ生き方だったのである。

 

たしかに、自分が選んで世に送り出したのなら、自分で書いたのと、「責任」という意味では変わらないですよね。

ちなみに、『暮しの手帖』は創刊時、『美しい暮しの手帖』という名前だったのですが、こんな発刊の辞が書かれていました。

これは あなたの手帖です
いろいろなことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮しの手帖です

 

この発刊の辞についてと、創刊時の誌名になぜ「美しい」と付いていたのか、以下のような説明が書いてありましたので引用しておきます。

もしも、なにも知らずにあの「発刊の辞」を読めば、おそらく多くの人が、ロハスとかスローライフとか、消費社会化が行きついたはてにあらわれた「持続可能な社会」をめざす運動や、それに先立つ60年代のヒッピー運動のようなものを思い浮かべるだろう。
まちがいではないが、ただし、それだけではない。1948年(昭和23年)の日本で「あなたの暮し方を変えてしまう」と花森がしるすとき、その「暮し」は、まずは戦争直後の、住む場所どころか食うものも着るものもない、貧困のどん底にまで落ちた日本の社会と、追いつめられた人びとの生活を意味していた。
あとにつづく「変えてしまう」も同様である。日本人が廃墟の街から新しい一歩を踏みだすには、戦前戦中の日常を支配していた神がかり的な精神主義をしりぞけ、めいめいの生活に明快な合理性を大胆にとりこんでゆく必要がある。それには同時代の英米でのDIY(dp it yourself=じぶんでやろうぜ)ブームとならんで、私たちの祖先の簡素な暮しの技術がいいお手本になってくれるだろう。それがここで「変える」の一語に託して花森が期待したことだった。
関連してもうひとつ、花森安治はこの『美しい暮しの手帖』という誌名によって、「20年近くかかって『生活』のかわりに『暮し』ということばを定着させた」と、のちに田所太郎が指摘している。
そういえば、当初、『暮しの手帖』と予定していた誌名を、「それでは暗くて売れない」と取次会社にいわれ、やむなく「美しい」という形容詞をつけることにしたという話もある。
いま「暮らし」とか「くらし」と書けば、ちょっと都会風で垢抜けた感じになるが、むかしはちがう。近代日本でlifeの訳語として用いられてきた「生活」の語が、「生活改善」とか「生活設計」とか、どこかバタ臭いインテリ的なひびきをもっていたのに対して、「暮らし」という和語は昔ながらの庶民の貧しい日常とむすびつき、そのぶん地味で、どちらかというと暗いイメージのほうがつよかった。「その日暮らし」とか「暮らし向き」とかですね。その印象をひっくりかえしたのが花森だったと田所はいうのである。