『世界十五大哲学』大井正 寺沢恒信

哲学を体系的に学び直してみたいと思い、佐藤優さんがオススメする『世界十五大哲学』を読んだ。分かりやすく解説している本とはいえ、一度読んだだけでは頭に定着した感じがしない。何度か読み直そうと思う。

 

ちなみに、この本にも出て話だが、philosophyを「哲学」と訳したのは明治の洋学者である西周(にしあまね)。日本人初のフリーメンソンとも言われている人で(笑)、「科学」などもこの人が訳した言葉だ。スゴい人だと思うのだが、出身地の津和野では、同じ津和野出身の森鴎外に比べると全然フューチャーされていない(気がした)。

以下、メモ。

ギリシャにはもちろん、発達した神話をもつ伝統的な宗教があり、自然現象や社会現象を説明する宗教的世界観があった。ミレトス学派の人々の思想は、水だとか空気だとかいう物質的なものを原理(もとのもと)であるとし、それから出発して一切を統一的に説明しようとする、唯物論的世界観であった(神、霊魂などの観念的なものではなく、物質を根本的なもの、第一次的なものとし、観念的なものを、物質から派生したもの、第二次的なものであるとする思想を、唯物論という)。

 

476年に西ローマ帝国は滅亡した。代わって現れたゲルマン人のもとでヨーロッパは、生産力に関しても文化の面でも、世界における比較的おくれた地域になってしまった。

 

人生の幸福のためには国家的統一がなさればならず、そのためには政治的に強力な君主が現れなければならず、この君主は諸侯に対して個人道徳的善悪を配慮する必要がない。この最後の点が、マキャヴェリズムという悪名でよばれるゆえんなのであるが、彼自身は、現実政治を冷静に科学的に分析し、人民の幸福の道を現実的に探求した愛国者であった。

 

16世紀のはじめに、イギリスでは、穀物をつくる農業よりも羊毛の生産の方が有利になったため、地主たちが暴力的に農民を居住地からおいだし農村全体を無人の牧場に変える、という動きがおこった。生活の手段を失った貧民がちまたにあふれ、泥棒が多くなったが、権力者たちはこれを残酷に罰し、さらし首にした。これはまさに、資本の本源的蓄積のもとでの深刻な社会の姿であった。
有名な政治家でもあったトマス・モアは、このイギリスの社会状態に対する救済策を提示する目的で、空想的社会主義の物語『ユートピア』を書いた。これは、私有財産のない、すべての人が働く社会である。

 

イギリスでは、アダム・スミスとでデイヴィッド・リカードによって、古典派経済学が建設されていた。彼らは、労働価値説の基礎をすえたが、社会を、もっぱら個人的利益を求める諸個人の集まりと考え、自由競争を擁護した。
同じ思考傾向を哲学で代表したのが、ジェレミー・ベンサムの功利主義である。この思想によれば、法や道徳の基礎は、快楽をもたらし苦痛を遠ざけることにある。非道徳的な行為とは、個人的利害の決算をまちがっておこなうことにすぎない。ベンサムは、当時のイギリスの俗物を標準的人間とみなし、当時のブルジョア的秩序を理想的社会秩序であると考えた。

 

わが国には、儒教や仏教との関連の中で発展してきた古来の哲学的伝統があったが、それについてはふれる紙面がない。幕末から明治の初年にかけての洋学者、西周が最初に移入したのは、イギリス流の功利主義と実証主義であった。

 

アリストテレスはここで、人生経験の豊かな賢者として立ち現れ、中庸の徳を説いている。彼は、最高善は幸福であるが、それは全生涯を通じて実現されるもので、「一羽のつばめは春をなさず、また一日のみでも春をなさない、そのように、わずか一日や短時日で人を祝福された仕合わせ者にすることはできない」(『ニコマス倫理学』)と述べている。

 

ジョン・ロックの哲学には重要な側面が二つある。
(1)感覚主義的認識論「生得観念」説という、中世で支配的な認識論に反対し、すべての「観念」は感覚からはじまること、また感覚の統合として形成されることを強調した。
(2)自然法にもとづく社会契約の学説——人間の社会は、各人の契約によって成立したものであり、政府は、各人が自然からあたえられた権利を第三者にゆだねることによってつくられたものである。したがって、政府は、各人の権利を守ってやらなければならない。この学説は、近代民主主義にたいして、とくにフランス革命にたいして、影響を及ぼした。

 

日本で紹介されたヨーロッパの哲学者の中でも、カントは最も早い時期に属している・明治初年前後にすでに、西周や加藤弘之などの日本哲学者たちは、カントを紹介している。そしてカントは、進歩的な哲学者、更に革命的な哲学者として評価されていた。
特に日本におけるヨーロッパ式哲学の最初の作品である西周『百一新論』は、明らかにカントの思想的影響を受けていると思える。そして、井上円了が建てた哲学堂には、孔子、釈迦、ソクラテスの三聖人とならんでカントがまつられている。

 

マルクス主義の哲学は、その出発にあたって、従来の唯物論とは重要な点で異なった態度をとった。——マルクス主義は、哲学を単に「知」からはじめるのでなく、「実践」からはじめている。換言すれば、マルクス主義は、哲学は根本的には世界を変革する態度をとらねばならぬと主張する。

 

マルクス主義は、人間は動物、すなわち、猿から進化してきたものであり、宗教がいうように、神による特別の被造物であるのではないと考える。そして、マルクス主義によれば、このさい人間と他の動物とを区別する特徴は、人間が「労働する」ということである。

 

 

世界十五大哲学 (PHP文庫)