立花隆の『農協』を読んで、農家のあり方について改めて考えてみた。

このブログで農協の弊害について何度か書いたが、農協のことをどれだけ理解しているのかというと、たぶんそんなにちゃんと理解できていない。そこで一冊の本を読んでみた。知の巨人、立花隆が書いた『農協』。1980年の著作なのでデータ等は古いものだが、超小さな字で文庫本約400ページにわたって農協について論じている。

 

読んだ結果、農協について理解できたかといえば全然だ。農協はあまりに複雑な組織であり、複雑な仕組みのもとに成り立っている。一般的な農協のイメージと言えば、農家から農産物を買い取り、それを全国の市場、小売店に販売することで利ざやを得ているというものではないだろうか。だが、それは農協の活動のほんの一部にすぎず、実は農協の販売事業は赤字だ。米以外の農産物の販売事業はすべて赤字なのである。利益は別のところであげているのだ。

 

農協は、世界一の飼料メーカーであり、日本一の肥料メーカーであると共に、国内有数の金融機関であり、保険会社(正式には会社ではないが)なのである。それだけでなく不動産事業などにも積極的に乗り出している農協は、ウィキペディアによれば「扱っていない事業は風俗とパチンコくらい」らしい。膨大な飼料や肥料を農家に販売したり、農家の預金を運用したり、農地を開発したりして莫大な利益をあげている。複雑怪奇で超巨大なモンスター組織なのだ。実際、専門家や組織内部にいる人でも農協の全容を理解できずにおり、それが農協の問題をやっかいなものにしているようだ。立花隆は以下のように書いている。

農業問題、食料問題というのは、だれでも何となく一応は事情を知ったつもりでいられる問題らしく、一家言を持つ人が少なくない。しかし、その議論の多くは、しばしば農業の現在の実態を知らず、農業、農民をとりまく現実的諸条件を知らずにたてられたナンセンスなものであることが多い。一般の国民だけではない。農業の専門家と一般にはみなされている農水省の役人や、農協全国連の役職員、あるいは大学の農学部の教授連中などにしても、それぞれに自分の専門とする領域には通じていても、いったんその領域を外れると素人同然ということがしばしばである。それくらい農業は間口が広いのである。

農協は組織を巨大化させていく中で、農家を骨抜きの状態にしてしまったのだ。確かに戦後に農家の地位を向上させたのは間違いなく農協だ。それで「農協さんに任せておけば大丈夫」という信頼感を得ることに成功し、それがいつしか「農協さんの言いなりになるしか方法がない(と思ってしまう)」という状態に農家を陥れたと言える。農協が農家に対して手厚い保護をしたことが、競争力のない農家をつくり、さまざまな弊害を生んでしまったことは間違いない。立花隆は農家のおかれている状況について以下のように書いている。

これは肥育牛にかぎらず、日本の農業のすべてについていえることだが、農業経営の規模と質の両面における上下の格差があまりにありすぎ、農産物価格は、そのかなり下方の農家がやっていけるレベルに設定されているために、上位の農家は驚くほどの超過利潤を獲得しているのである。
そして、その価格設定ゆえに、向上心のないかなり下位の農家も惰眠をむさぼることができ、上位の農家は所得向上のインセンティブでさらに経営努力を重ね、いつまでたっても上下格差は縮まらないどころか、開く一方ということになるのである。そしてまたその下位の惰農にあわせた価格設定ゆえに、日本の農産物はいつまでたっても安くならず、消費者の不満が絶えないということになるのである。

立花隆は多くの農家を取材しているが、次の2つの農家の声が農業のおかれている現状を言い表していると思う。

「建前ではみんな、まだ行政の保護が不十分だといってるけど、ほんとは保護が手厚すぎて、現状維持が制度的に温存されたのが失敗だの。農協の指導も、だれでも600キロの反収をあげられるようにしたのは、一面では成功かもしらんが、一面では失敗だの。だれでもできるから、職業としての競争原理が働かなくなっちまった。そして農民を他力本願にしちまった。」

 

「私は農協の役員もしているのでハッキリものをいうと当たりさわりがあるから匿名にしてもらいますけど、とにかくもっと農家が減らなきゃダメです。
この県でもトップクラスの農民が集まったときにみんないうことなんですが、後継者育成とか、自立農家育成といった行政の保護政策は全部やめてしまったほうがいい。ああいうことをやるから、ほんとうは自立能力がない農民まで農業にしがみつくことになる。放っといても、自立能力がある農家はちゃんと自立してやっていけるし、そういう農家には後継者も自然にできる。
自立能力がない農民に早く離農してもらわないことには、ほんとうは自立能力がある農民まで、いつまでたっても政府の保護を離れられないという状況がつづく。食管もやめて、上限と下限とかなり幅がある価格支持政策に切り替えて競争原理を導入したほうがいい。そうでないと、みんなコスト切り下げの努力を真剣にしないし、ソロバンはじけば当然やめるべき連中まで米作りをつづける状況が終わらない。日本ではアメリカのような大規模化はできないが、一戸20ヘクタールをやるようになれば、米価なんか簡単にさがるんです」

農協もスタッフを抱えているのだし、組織は巨大化(自分たちの利益)を目指すのが普通だから、農家のこととか「日本の農業のあり方」などよりも自分たちが第一になるのは当たり前だ。都合が悪くなれば、最終的には農家のことを見捨てるに違いない。経営が悪化した企業に従業員がクビを切られてしまうのと一緒だ。農協に依存するのは危険だと思う。

 

結局、農協依存の状態から抜け出す試みをしていくことにこしたことはない。自分だけでは販路を切り開けそうにないなら、農協ではなく、身内や近所の人とかに頼ればいいと思う。とりあえずホームページを作れる人がいたらお願いして作ってもらったり、東京に知り合いがいればその人から直販ルートを開拓できないか挑戦してみたり、ちょっとしたことから始めてみると良いのではないだろうか。同時に、農協の指導に頼るのではなく、自分で学び、品質の向上と作業の効率化や経費削減を試みる。400ページの本を読んでも、僕が考えられるのは結局こんなところしかない。。
農協 (朝日文庫)