小野照崎神社で「大盛り」断ちをして、早3ヵ月。食事に求めるものが量から質(味)へ。

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僕らは毎年、入谷の小野照崎神社に初詣に行っている。ここは、俳優の渥美清が「煙草をやめるから良い役をください」とお願いしたところ、見事に『寅さん』の主役の仕事を得ることができたと言われる神社。そのため、1年間の「○○断ち」を誓う代わりに願いごとをするのが基本ルールの神社なのだ。

 

僕は今年、「大盛り」を断った。若い頃のクセが抜けず、「大盛り無料」の店ではつい大盛りを頼んでしまいがちで、ダイエットや健康のためによろしくないだろうということで断つことにした。

 

3ヵ月経過した今となっては、「大盛り無料」という言葉に全くそそられなくなった。もはや我慢しているという感覚すらない。

 

「大盛り」を断っていることは苦しくないのだが、山盛りになったご飯を一心不乱に頬張る快楽を味わえないのは、やっぱり寂しい。別に大盛りを食べたいわけじゃない。どうせもう、そんなに食べたら逆に苦しくなる。だがしかし、やっぱり寂しいのだ。山盛りご飯を腹一杯頬張れるという点においてのみ、僕は若者が羨ましい。

 

量から味へ

 

去年のゴールデンウィークからダイエットをしていることもあり、食事の量がとても減った。

 

最近、妙にグルマンになってきた自分に気付いた。以前は、お腹をパンパンにするのが第一の目的だったし、特に20代のころは食事に求めているものと言えば、量、脂味、コストパフォーマンスといった具合だった。美味しいに超したことないけど、絶対条件ではなかった。

 

それが、量とカロリーに気を使うようになったら、1食1食ちゃんとおいしいものを食べたいという欲求が強くなった。まずいものを、少ない量だけ食べるのはさすがにわびしい。基本的に、日常は同じようなことの繰り返しだから、せめて食事くらいは楽しみたいと思うもので、「量」を追い求められなくなると、残された道は「味」を求めることしかない。

 

そして、好みの味も変わってきた。デブ体質だったころは、二郎のラーメンみたいな、カロリー爆弾みたいな食事が好みだったが、今では二郎のラーメンを食べるなら、ざるそばを食べるほうがいい。

 

だから、食いしん坊で太り過ぎに悩んでいる人は、「量」や「カロリー」を制限したら大切な楽しみがなくなってしまうなんて心配する必要はない。好みの味は変わるし、より美味しいものを求める習性になるので、食事の楽しみ自体は変わらない。安心してダイエットを始めてもらいたい。