『センス入門』松浦弥太郎

ブルータス最新号の特集が「松浦弥太郎の『男の一流品カタログ』」。ブルータスの特集をひとり占めしちゃうくらい、松浦弥太郎さんの審美眼には定評があるのだろう。

 

そんな松浦弥太郎さんが、センスに大切さや磨き方を述べた本。

 

以下、メモ。

 些細なことですが、ドアの開け閉めにしても、素敵だなと感じさせるか、乱暴だなと感じさせるかは、「センス」の良し悪しです。会社の会議で意見するタイミングや、声の大きさ、話のスピードも、「センス」の表れといえるでしょう。大事な決断のタイミングさえも「センス」を必要とするでしょう。
 つくづく思うのは、仕事にしても、暮らしにしても、ある程度のレベルまではどんな人でも到達できるけれども、そこから先のもっと高いレベルに行くには、その人が身につけている「センス」の良し悪しで左右されるだろうということです。
 「センス」とはそのくらい大切なものです。

 

 この人たちに共通しているのは、なにが情報であるのかということを正しく知っているということです。情報とは本来、自分が実際に見たものや体験したものだけであるということをよく知っているのです。だから、誰かから聞いたり、どこかで読んだもの、ましてや口コミやランキングなどは、じつは情報でないということをよく知っています。経験したことをはっきり自分の言葉で言える、これが情報というものであり、たまたま見たり聞きかじったことは自分にとって情報ではない、と思っているのです。

 

 人と向き合っているときも、物を見ているときも、必ず、自分に許されているスペースというものがあると思います。このスペースとは、相手とのあいだで自分に許されている幅、距離感、あるいは空間とでも言うべきもので、ここまでなら立ち入ってもいいという間合いのことです。
 それは、物事に対してだけでなく、心のなかにもあるものです。
 なぜこんな話をするかというと、「センスのよさ」とは心を開いて、また会いたいと思ってもらえるような関係を持つことだというお話をしてきましたが、僕の知っているセンスのいい人たちは、このスペースをそっと上手に察して、それよりも過ぎたことはぜったいにしないからです。

 

 清潔感がある人でいたいなら、目で見えるところより、目に見えないところをできるだけきれいにすることです。目に見えるところは、気を付けていれば行き届きますから、きれいになっているのはあたりまえです。でもそれは、ふつうと言えばふつうです。僕は、目に見えないところをとくにきれいにしたいと思います。
 足の裏とか耳の裏、爪のなかなどがきれいな人でいたいと思うし、だれも気付かない、だれも指摘しないところを清潔に保っておくことが、僕のせいいっぱいの礼儀です。別の言葉で言うなら、感謝の気持ちの表れとも言えます。
 目に見えないところとは、体の細かいところだけではありません。たとえば、心のなかですとか机の引き出しのなかなどもそうです。こういうところがいつもきれいに整頓されているのも、人の前に立つときや、誰かと会ったとき、つまり、自分らしさを見てもらいときの、マナーのひとつだと思います。
 ざっくばらんに言ってしまえば、今まで冴えなかった人が、すぐにセンスのいい人に返信するというのは、なかなかむつかしい。センスとは、それまで身につけてきた自分の価値観や美意識を礎にしてにじみ出てくるものですから。どこかから持っていきて、今までの自分にパッチワークするのもおかしな話です。けれども、「あっ、センスがいいな」と思うことは、清潔に保たれていることだったり、きちんとしていることだったりすることが多いのです。

 十人の人がいたとして、一人選ばれて九人選ばれない、という極端なことはめったにありません。十人いたら、じつは九人が選ばれると僕は思っているのです。世の中には、なにかしら役割がありますから。でも一人、選ばれない人もいる、それも現実でしょう。その一人になってはだめだと思うのです。
 十人のうち一人しか選ばれないというのはとてもハードルの高いことですが、十人のうち九人が選ばれるのだったら、それほどハードルは高いことではないと思うのです。

 ところで、選ばれる理由というか、コツというのはあると思います。
 それは人を認めるということです。
 だいたい選ばれない人というのは、自分以外の人を認めていないことが多いものです。つまるところ、いつも自分は認められたいと思っている人ほど、選ばれないのです。なかなか「この人!」と指をさされない人は、「では、あなたは誰を認めているの」と聞かれるとことばにつまることが多いのです。

 若い人とか友だちがすすめてくれた本、「ここ、いいよ」と言ってくれたところは、できるだけ読んだり、出かけて行ったりします。自分にフィットするかどうかの確率は高いわけではありませんが、それでいいのです。
 僕は、昔、ライブドア元社長の堀江貴文さんが苦手でした。テレビや雑誌が報道する印象は最悪に近いものでしたし、お金で何でも買えるなんて平気で言うのは、なんか嫌だなと、要は違和感を感じていたのです。
 しかし堀江さんの本を読んですごく感動したある人が、僕に「ホリエモンってどう思う?」って聞いてきたので、「あんまり好きじゃないんです」って応えたのです。そしたら彼が、「でも、読んでみたら」とすすめてくれたので、「えーっ、やだな」と思いつつ、試しに読んでみたら、「この人、すごい!」と、大好きになってしまいました。それ以来、堀江さんの大ファンで、彼の本は全部読んでいます。

 

 でもここで僕が強調しておきたいのは、失敗の経験というのはとても重要で、失敗がないといいものはわからないのです。いつも失敗しないで、「当たり」ばかりが続くと、人間というのは、それがふつうになってしまいます。
 そうなると「当たり」に感動しなくなってしまうのです。だから、いつも失敗することはよしと考えています。
 たとえば、人に道順を聞いて行ってみたけれど、実際はそれがとても遠回りだったとしましょう。けれども、その経験があるから、近道を知ったとき、これは近くて便利だと、ちょっと感動するでしょう。最初から近道を知っているのは、いわゆる「当たり」なのですが、この感動は得られなかったことになります。だから、失敗をたくさんしている人はセンスがいい人だと僕ははっきり断言できます。

 

 もっと残念なのが、口コミやランキングで情報を得ようとすることです。こんなにたくさんの人が「いい」と言っているわけですから、大きく失敗することはありえないでしょう。でもそれが落とし穴です。「いい」という口コミで「当たり」を続けていると、自分で心から感動することができなくなってしまいます。それは発見ではなくて、確認という作業になってしまうのです。
 だからこそ、失敗を楽しむくらいの気持ちの余裕は大切です。失敗すると、僕は心から「よかったな」と思ったりします。

 

 目に見えるものだけを追うのではない、という考え方です。これを最初に言語化したのは、安土桃山時代の茶人である千利休だと思うのですが、それまでは金銀財宝や何かがたくさんあることに価値があったのですが、美しいとはそういうことではなくて、何も無いというこの空間こそが美しいじゃないか、と発見したのです。こういうことは、非日常的なことだと考えがちですが、実際は僕たちの生活にもわかりやすく見えることです。

 

 情報によって僕らの生活はどんどん便利になりますが、便利さに乗っていくことによって、失われていく能力も多いことを忘れてはいけません。合理性ばかりを優先すると、だんだん人が均一化されていくような気がします。便利なものは注意深く使いたいと心がけます。

 

 ことわざで「千人の目が見えない人よりも、一人の目利きを恐れろ」といいますが、誰も見ていないからいいやとか、この程度でいいだろうとか、そういうことをしてしまいそうなときはいつも必ず誰かが見ている、自分を見抜く人は見ているというふうに自分で自分を諭します。

 

 はなからスタートラインに立たない、だから大きな失敗もしない、そうしてとりあえず及第点を取るというのが僕の幸せなんですというやり方は、いちばんいけないことだと思っています。

 

 ひとつの方法は、文化財を見てまわるということです。まずは重要文化財から始めてみるといいと思います。つまりこれは、本物に触れるという経験を積むことです。
 僕は東京に住んでいますが、明治時代や大正時代以降の文化財では全国的に見てもベスト・オブ・ベストのとても素晴らしいものが揃っているのです。数にして九十いくつかの文化財があります。

 

 よく読む、よく聴く、よく見ると言っても、わからないことは多いものです。だいたいの場合、ちょっと見たくらいではわからないと思ったほうがいいです。
 でも、よくよく見たり読んだりすると、何かひとつはわかるのです。
 この「ひとつ」をよすがにして、わかるまで、それと付き合うのが大切です。わからないからといってあきらめない。あきらめて手放してしまったら、また新しいスタート地点を探さなくてはならなくなります。せっかくここまで積み上げてきたのだから、次を見つけなくては、そう思って、なにかがわかるまでは絶対あきらめないことです。
 何回も読むと、気になったところや、自分の心が動かされるところが、どこか一カ所くらいは見つかるでしょう。たった一文でも、ワンフレーズでも、感動できる——そこまでいかなくても、ハッと気づかされることはあるものです。音楽でも映画でもアートでもそれを見つける。そして、見つけたら、真似をすればいいわけです。自分の仕事、自分の生活のなかなど、どこかで真似をしてみるのです。

 

 長く続けていくためには、八勝七敗を自分で守っていく。全勝ではなくて、そのためもわざと負けるくらいがいい、と。

 

 いちばん怖いのは、人から褒められ続けて、ずっと好調なままでいることです。そんなとき、わざと自分でしっぽをつかませるということは必要なことだと思います。
 人間は、順風満帆で来ているときがいちばん注意しなければならないときです。落ちるのがこわくなりますし、落ちたときにケガをしたら、もう続けていけません。それならば、自分から小さなケガをしていくほうがバランスをとるにはよいのです。

 

 貯めることができるのはお金だけではありません。たとえば信頼とか信用というものもどんどん貯めていけるのですから。それには意味があると僕は思います。これはとても大きなことだと思いますが、信頼や信用を貯めていくというのはわかりにくいかもしれません。けれども、それはすぐには数字として見えないかもしれませんが、確実にあなたの財産を増やしていくのです。